副代表理事 岩中祥史

日本人の私たちが、海外を旅したときいちばんほしくなるもの──。それは「だし」の味だと言われます。私自身もそうです! その中でも、「昆布だし」はもっとも強く「日本」を思い起こさせてくれるのではないでしょうか。
というと、日本中どこでも大昔から昆布が採れたように思いますが、そうではありません。かつて昆布が採れたのは国内では東北地方だけでした。古代の昆布は、もっぱら薬として使われていたといいます。平安時代になると、食用にも使われ始めましたが、実際それを口にしていたのは皇族・貴族、それに寺社など、ほんのひと握りの人たちだけでした。
中世を過ぎると、武士たちの糧食として使われるようになります。これは、昆布が携帯性・保存性に優れ、しかも「打ち、勝ち、よろこぶ」という言葉に通じていたこともあります。それでもまだ、昆布はあくまで「非日常」の食べ物で、一般の人たちが毎日、昆布を口にすることはありませんでした。
ところが、江戸時代に入り、いまの北海道・樺太・千島列島から成る蝦夷地まで幕府の支配が及ぶようになると、その一帯が昆布の一大生産地であることがわかりました。北海道とその周辺で採れる昆布が「北前船」に載せられ、東北・北陸地方を経て上方に入ってきたのです。なかでも、敦賀(福井県)経由で京都に入ってきた昆布は、「だし」として利用されるようになり、一気に広まったのです。いまも売られている利尻、羅臼、日高といった産地の名前で呼ばれる昆布がふんだんに使われるようになったのは、江戸時代も半ばを過ぎてからでした。
それが、日本料理の世界に一大革命を起こします。昆布から取った「だし」を料理に使うようになったからです。以来、西日本では「だし」の王者となり、やがてそれが全国に広がっていきました。和食がブームになっている昨今では、ヨーロッパのレストランでも昆布だしが使われ始めています。
では、樺太・千島列島といった昆布の大産地を抱えるロシアではどうなのでしょう。いまだ食用に用いられることは少なく、日本への輸出食材という扱いがもっぱら。でも、そのおかげで、私たち日本人はおいしい食べ物を楽しむことができるのです。
*写真は「復元された北前船」(BS朝日より)