副代表理事 岩中祥史

2016年12月に、『広島の力』という本を出しました。9月の初めごろ、プロ野球セ・リーグで広島カープが26年ぶりの優勝を確実にしたころ、広島県出身の出版社社長からお話があり、一気に書き上げたものです。

広島の「力」にはさまざまありますが、それを考えるとき「HIROSHIMA」という要素は欠かせません。つまり、国際社会における広島の評価です。きっかけはもちろん原爆です。
なぜ広島に人類で最初の原爆が投下されたのか。それはほかでもない、広島が明治時代からずっと「軍都」だったからです。広島市の隣・呉市には明治時代半ばから海軍の鎮守府や工廠、江田島には兵学校が設けられたことからわかるように、旧日本海軍にとってきわめて枢要な地域だったのです。
日露戦争のときは大本営までもが広島に設置されました。それに合わせてかどうかはわかりませんが、広島・呉・江田島の周辺には、ロシアからの攻撃に備え砲台がいくつも作られ、その跡がいまなお残っています(写真は江田島市の「三高山砲台」)。

この種の砲台で最大のものは長崎県の対馬にありますが、数という点では呉周辺が圧倒的でした。
近ごろの日本人はそんなことはつゆ知らず、広島に行くと世界遺産の宮島(厳島神社)に行ったり名物のお好み焼き、カキを食べたりしていますが、楽しいだけのところではないのです。同じく世界遺産に指定されている平和記念資料館+原爆ドームにも足を運んでいるとは思いますが、そこに行く意識についていうと、海外の人たちのほうがはるかにシリアスで、当の日本人はなんとも太平楽な印象を受けます。
皆さんも、明治時代の日本にとって最大最強の仮想敵国ロシアを強く意識した呉市周辺の砲台を一度ご覧になってみるのもいいかもしれません。原爆ドームに匹敵する、二度と「戦争」を起こしてはならないという気持ちになるはずです。そして、なぜ日本人がロシアにいまひとつ親近感を抱けないのか、その背景について考えさせられるのではないでしょうか。