副代表理事 岩中祥史

今年3月、いま進めている「北前船」に関わる単行本の取材で函館を訪れました。10年ぶりの函館です。
ご存じかとは思いますが、函館は、江戸時代「鎖国」を実施していた日本が幕末になって「開国」に踏み切った際、新潟、神奈川(横浜)、神戸、長崎とともに、諸外国に対して開いた5つの港の1つ。当時はまだ「箱館」と表記されていました。それを機に函館には各国の領事館や公館が設けられます。
なかでも、地理的にいちばん近いロシアは、たいそう力を入れたようです。ロシアはもともと1793(寛政5)年、遣日使節ラクスマンを乗せたエカテリーナ号が来航して以来、函館とつながりがありました。正式に開港される前、1858(安政5)年には領事が着任しており、このときは医師、司祭など一行10数人が市内の高龍寺、実行寺に止宿していたそうです。その翌年には、亀田にロシア病院も作られました。
大工町(現・元町)に領事館が完成したのは1860(万延元)年、このとき同じ敷地内に聖堂も設けられました。1864(元治元)年には大町の外国人居留地にロシアホテルも開業しています。
しかし、1872(明治5)年、東京にロシア公使館が開設されると函館の領事館は事実上閉鎖状態になり、残されたのは聖堂と病院だけに。それでも、北洋漁業の活発化とともに函館はロシアとのつながりはますます深まっていきます。
1907(明治40)年、函館大火により領事館、聖堂とも焼失したものの、翌年には領事館が、さらに1916(大正5)年には聖堂が再建されました。
これこそがいまその雄姿を誇る函館ハリストス正教会で、ビザンティン様式のユニークな建物は、一時期、函館観光のシンボルとしてデザイン化されたこともあります。レンガ造り一部3階建ての平屋で、白漆喰を塗った外壁はとても印象的です。
この元町界隈にはほかにも元イギリス領事館、旧函館区公会堂、聖ヨハネ教会など観光名所が目白押し、内外から訪れた観光客でにぎわっています。すぐ近くには、1994(平成6)年、日本人にロシア語、ロシア文化・文学・政治・経済などの教育をおこなう「大学(日本では専修学校の扱い)」も(現在の名称は「ロシア極東連邦総合大学函館校」)。このように、函館とロシアのつながりは思っている以上に深いものがあり、観光にも大いに寄与しているようです。